学校の美術の授業が苦手だった私が、大人になって美術館に行ってみた結果。美術館への一歩を踏み出した日、休んだ美術の時間が思い出になる瞬間、アートなんて知らない男の無知さをさらけ出す。モネもダリも何も感じずに見過ごす男。そして最後に見た美術作品についての一考察。この記事では、学者たちが書く堅苦しい美術の批評記事とは一味違う、身近な体験を通じて美術の魅力をお伝えします。美術の授業でつまずいた人、美術館に行ったことがない人、アートに興味がないと感じている人にこそ読んでほしい。美術作品の鑑賞に必要な知識や経験なんてなくても、美術の世界に一歩踏み出す勇気があれば、意外な発見が待っているはずです。
学校の美術の授業が苦手だった男の美術鑑賞冒険記
学生時代の私は美術の授業が大の苦手でした。才能もなければセンスもなく、芸術とは無縁の存在だと思っていました。だからこそ、大人になって美術館に行くなんてことは考えられませんでしたが、ある日衝動的に足を踏み入れてみました。
美術館に入ると、どこを見ていいのかもわからず、真剣な表情で作品を鑑賞する人たちに圧倒されました。私はただそこにいるだけで他人とは一線を画する存在だと感じましたが、せっかく来たのだからと、さりげなく作品に近づいてみました。
例えば、有名な絵画の前に立ちました。数分間、ただ見つめるだけで、何を感じればいいのかわかりません。でもふと、作品を見るだけではなく、作者の情熱や苦悩も一緒に体験できると思いました。その瞬間、私の中で何かが変わりました。
以来、美術館は私の癒しの場となりました。過去のトラウマから解放され、自分自身に対しても優しくなれた気がします。美術の世界は深くて奥が広く、私にとってはまだまだ未知の領域ですが、その探求心が私を楽しませてくれます。
美術館への一歩を踏み出した日
ある日、私は美術館に行くことを決めました。美術の授業をサボっていた私が、大人になってようやく美術館デビュー!周りの人達と同じように、私も芸術の世界に足を踏み入れることができると喜び勇んでいました。
美術館に着くと、入り口で「チケットを2枚お願いします」と言いましたが、私は千円札しか持っていませんでした。すると、係りのおじさんが微妙な笑顔で「一人当たり大人の料金は1,200円ですが、お釣りは出せますか?」と聞いてきました。私はあわててポケットの中をあさり、そこから1,000円札を取り出しました。「ちょうど1,000円ですね、これでいいですか?」と聞くと、おじさんは微笑んで「お釣りは不要ですよ」と答えました。
中に入ると、さまざまな作品が並んでいました。絵画、彫刻、彩色が施された陶器など、芸術作品の数々を見ながら、私はいつもとは違う世界にどっぷりと浸っていきました。例えば、有名な絵画である「モナリザ」。テレビや本で見ていたのとは違い、実際に目の前で見ると、絵の奥行きや色彩の美しさに驚きました。
私は美術に詳しくはないし、趣味もないけれど、それでも美術館に足を運んでみて良かったと思いました。自分自身が芸術に触れることで、新しい発見や感動が待っていることを実感したのです。
休んだ美術の時間が思い出になる瞬間
高校時代の美術の授業、私はよく休んでいました。自分には才能がないし、絵だって真っ直ぐな線一本引くのも苦手でしたから。でも、最近大人になって美術館に足を運んでみたんですよ。思い出のない授業時間だったはずが、そこには素晴らしい世界が広がっていたんです。
例えば、ある美術館では、彫刻作品が展示されていました。私は彫刻について何も知らないので、「ただの石の塊じゃん」と思っていました。ですが、鑑賞者たちは一様にその美に圧倒されていました。私もなんとなく感じるようにしてみました。触覚を使ってその彫刻の表面をなぞっていると、どんどん作品に引き込まれていく自分がいました。石が持つ粗い表情の中にも、こんなにも魅力があるんだと気付かされました。
また別の館では、抽象画の展示が行われていました。抽象画って、まさに「子どもでも描けるじゃん」と思っていました。でも、その場を訪れて実際に作品を見ると、見慣れた形や色の中になぜか胸が躍る感覚がありました。「これが芸術なのか」と再確認しました。
授業をサボった時の私は、美術が意味のない時間だと思っていましたが、美術館を訪れることでその思い込みを覆されました。絵画や彫刻はただのデータやテキストではなく、生き生きとした存在なんだと実感しました。休んだ美術の時間が思い出になる瞬間、私の中で蘇りました。
アートなんて知らない男の無知さをさらけ出す
美術の授業をサボった私が、大人になって美術館に行ってみた結果、まさかの無知さが露呈しました。誰もが知っている有名な絵画でも「あれって何かわからないけど、キレイだよね」と素直に感じるだけで、名前や作者が分かりません。例えば、「モナリザ」とか「夜の星」って言われるとピンとくるけど、作者の名前や背景についてはさっぱりです。そして、展示されている作品について解説を読んでも、専門用語ばかりで内容がさっぱり頭に入ってきません。まるで宇宙語を読んでいるような感じですね。
モネもダリも何も感じずに見過ごす男
美術の授業をサボった私が、大人になって美術館に足を運んでみました。モネの睡蓮やダリの奇抜な絵など、名だたる作品が展示されていると聞いていたので、ちょっと期待していたんです。でもさ、行ってみたら全然ピンとこないんですよ。絵心がない私には、絵の感動は難しいものなのかもしれません。
例えば、モネの絵。睡蓮の絵ってどんなものかって思って、実際に見ると…ただの水辺の風景じゃないですか。私が言うのもなんですが、こんなの自分でも描けそうですよ。いや、もしかしたら描いた方が上手になるかも? ただの色とりどりの点々で、何が芸術的なのかさっぱり分かりません。
そしてダリ。シュールレアリスムとか言ってるけど、私にはただの夢オチみたいなものにしか見えないんですよ。オヒョッとしてる時計とか、夢に出てきそうな奇妙な生き物とか。どうしてこれが芸術と言われているのか全然理解できないし、感動もしません。
まさにモネもダリも、私にとってはただの彩りのない絵画だったんです。美術を堪能するって意味では、私は完全に逃したんでしょうね。苦手な勉強は逃げてしまえばいいって学校時代から思っていたけど、美術もその一環だったんですよ。
そう言えば、美術の先生はいつも私の絵に注目してくれたんですよ。でも私はただの描きなぐりで、まともな絵なんて一つも描けなかったし、やる気もなかった。失敗の連続で、先生も笑ってたような気がします。あれから数十年。私は大人になっても変わりませんでした。まったく絵が分からないまま、美術館を出ました。
絵がよく分からない私は、まさに美術の授業をサボった罪を背負った男なんです。モネもダリも何も感じずに見過ごす男、それが私です。
最後に見た美術作品についての一考察
最近、美術館へ足を運んできた私。どんな作品かと思って見た美術作品は、まさかの「囲いの中の電球」というものでした。題名からして「電球ってどうやって美術になるの?」と疑問に思いましたが、まあ、アーティストのセンスということでしょうか。囲いの中で輝く電球は、なんだか寂しくもあり、ちょっと滑稽でもありました。まるで私の人生の象徴のようで、一瞬で共感してしまいました。この美術作品は、人生が明るく照らされることを願う私にとって、まさに「自己投影」であり、優れた作品でした。
この記事のまとめ
この記事では、学校の美術の授業が苦手だった男が大人になって美術館に行った結果を紹介しました。美術館への一歩を踏み出した日、休んだ美術の時間が思い出になる瞬間、アートなんて知らない男の無知さをさらけ出し、モネもダリも何も感じずに見過ごす男の姿を描きました。最後には、見た美術作品についての一考察を行いました。
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