失敗から学ぶ、常識ゼロの私が体験した実験の日々。あなたは、成功することばかりを追い求めていませんか?でも、失敗こそが私たちにとって最も貴重な経験です。愛する失敗へのオードから始まって、常識を知らずに実験に取り組む姿勢が明かされます。
愛する失敗へのオード
ああ、愛する失敗よ。私の人生に色を添えてくれてありがとう。君こそが私の最高の先生だ。初めて出会った時から、君の存在は私の成長を促すものだとわかった。私が考えてもみなかったような道を切り拓いてくれたし、自分自身を知る機会を与えてくれた。例えば、あの壮大な恋の失敗。彼女と一緒に歩む未来を夢見ていたが、彼女にとって私はただの友達だった。しかし、その経験によって私は自分自身を見つめ直し、自己価値を見出すことができたのだ。そして、パソコンのトラブル。オタクのように見せかけているくせに、実は私は技術的なことには疎いのだ。しかし、何度も失敗を経験することで、少しずつパソコンの知識を身につけることができた。おかげで友人たちからもちょっとした頼られる存在になった。私の人生は一つの大実験場だ。失敗は私に最高の授業を与えてくれるし、私の進化を助けてくれる。そう、君こそが私の唯一無二のダークヒーローだ。
常識? 初めて聞いた!
私、普段から学識もなければ、世間の常識にも疎いんですよ。でも最近、友達の話を聞いて、「常識? 初めて聞いた!」って思ったことがあるんです。
例えば、飛行機に乗る時には靴を脱ぐっていうのは知ってたけど、靴下も脱ぐべきだったんですね。ある日、友達と海外旅行に行くことになったんです。私は初めての海外旅行だから、楽しみでテンションも上がってたんですよ。飛行機に乗る時には靴を脱ぐって聞いてたから、当然のようにそうしたんですよ。でも、脱いだ靴の中には靴下も入ってたから、友達に指摘されるまで気付かなかったんです。友達には「空港の床って汚いんだから、靴下も脱ぐのが常識だよ」と言われたんですけど、普段からそんな常識を知らなかった私にとってはビックリでした。
それからもう一つ、友達と一緒にカフェで休憩していた時にも驚きの事実を知ることになったんです。「自由席ならどこでも座っていいんじゃないの?」って思ってたんですが、ある時友達に言われて初めて知ったんですよ。カフェでは席に座る前にオーダーをするんだって。普段、カフェに行ったことがない私にとっては、知らなかった常識でした。友達には「席を確保するために注文するんだよ」と教えてもらいましたが、そんな細かいことを考えるなんて、今まで全く思いつかなかったんです。
こんな感じで、私は常識というものに縁がないんですよ。思い込みや勘違いによる失敗も多々あります。でも、失敗から学ぶことで少しずつ成長していくんです。失敗しながら、毎日が実験の日々。それが私の生きる道なのかもしれません。
当たって砕ける実験の数々
実は私、科学実験には全くの素人でした。でも、何も知らなくても挑戦してみることにしたんです。例えば、ある日、キャベツを酢と一緒に混ぜてみたんですよ。むしろなぜ混ぜたくなったのか、自分でもよく分かりません。でも、結果は予想通りというか、まさかのグリーン色。あまりの酷さに思わず吹き出しました。こんなことをやっていても仕方ないかと思いつつも、なんだか得した気分になりました。あとで調べてみたら、キャベツに含まれる色素が酢の酸性で変色するらしいんですよ。
一方、別の日には実験の合間にヤグルマギクという植物を育ててみました。これは特に難しいこともせず、せっせと水やりをしているだけでした。結局、花が咲くことはありませんでしたが、それでも何かを育てるということの意義を感じました。自分でも驚くくらいの根気が必要で、それを持つことができた自分に褒めたくなりました。
こんな感じで、私は常識も知識もないまま実験を続けています。失敗しながらでも、新たな発見や面白い結果が得られるかもしれません。だからこそ、「なんでこんなことやってるんだろう」という思いが湧いても、あきらめずに突き進んでいます。失敗から学ぶことも多いですし、自分がまだ知らない世界や可能性を感じることもあります。将来は分からないけれど、まずは変わり者の私が楽しんで実験することに尽きます。
言語だって上手くいかなかった話
今回は、私が体験した言語の壁についてお話ししよう。例えば、ある時、外国人の友人との会話で日本語が全く通じなかったことがあった。彼は英語が話せると言っていたので、英語で話そうと思ったけれど、私の英語はあまり上手くない。でも、頑張って彼に何か伝えようと思っていた。
彼が「How are you?」と聞いてきたので、私も心の中で英文を考えた。しかし、なぜか頭が真っ白になってしまい、思いついた言葉は「あ~、でもね、今日はね、めちゃくちゃ寝不足でさ~」というものだった。
彼は一瞬固まってから大笑いし始めた。私が何を言っているのか理解できたのか、それとも私の英語が斬新すぎるために笑っているのか、正直よく分からなかった。とにかく、私の英会話は全く上達していないことがバレてしまったのは間違いない。
この経験から、私は言語の勉強を本格的に始めることにした。でも、毎日のように勉強しているにも関わらず、なかなか上達しない。自分の能力の低さに少し落ち込んでしまったが、そんなことで諦めるのはまだ早い。私の英会話スキルを上げるために、もっと積極的に外国人と交流することにしようと思った。
失敗から学んだと言っても、なかなか上達しないことは目に見えている。それでも、諦めずに努力し続けることが大事だということをこの経験から学んだ。
試行錯誤の連続、ある一日
朝起きると、目が覚める前に「また一日が始まるか…」と思いながら、寝ぼけ眼で起き上がりました。今日も私にとっての実験の日です。
何の実験かって?そりゃあ、生活実験さ。この私が、一体どれほどの間バカなこと、失敗しまくりな日常を送っているかを確認するための試行錯誤の連続さ。
例えば、朝食。何がいいんだろう?と思いつつ、冷蔵庫を開けてみると、残り物の冷や飯と枯れたレタス…。まるで私の運命のような組み合わせだ。
でもね、私は諦めない。まずは冷や飯をレンジで温めて、それに枯れたレタスを散らして、また諦めればいいさ。失敗体験は財産と言われるし、少なくとも明日の朝食は改善できる可能性がある(という望みを持ちたいだけかもしれないけど)。
次は、時間の使い方。朝から何をしようかな。とりあえずソファに座ってネットサーフィンでもするか…と思った矢先、昨日の自分が朝からゴロゴロして何もしなかったことを思い出し、自己嫌悪に陥る。
「これはダメだ!」と決意し、パソコンの前に座るも、どんな仕事をすればいいのかさっぱりわからず、再び挫折感が湧いてくる。
そんな一日一日が私の実験の材料。失敗と嫌悪感に溢れた現実を直視しながら、他人から見れば滅茶苦茶な私生活を送ることに、なんとなく希望を感じるのです。
さあ、今日も試行錯誤の連続だ。この実験の結果が何に繋がるのか、私にはまったく分からないけれど、もしかしたら何かを見つけるかもしれない。
元科学者の生きる道、破壊行為と素人鑑賞
科学者としてのキャリアを捨て、現在は自由気ままに生きる日々を送っています。そんな私が最近ハマっているのは、破壊行為と素人鑑賞です。
破壊行為といっても、建物を壊すような違法行為ではありません。例えば、日頃のストレスを発散するために、買ったばかりの安い家電製品をわざと壊してみるんですよ。電子レンジにチョコレートを入れて溶かしまくったり、ドライヤーを風船に向けて爆発させたり。思い切り衝撃を受ける瞬間が、なんとも言えないリフレッシュ効果を与えてくれるんです。
そして、素人鑑賞とは、美術や映画をセンスも知識もないまま見ることです。私は何もわからないからこそ、作品に対して純粋な感動を抱くことができるんですよ。例えば、美術館で有名な絵画を見て「この色合い、何か意味があるんだろうな」とか、映画を観て「何が起こっているのかさっぱりわからないけど、なんだか心に響く」とか。素人ならではの感受性が、自由な鑑賞スタイルを生み出してくれるんです。
そんな私の体験談をひとつご紹介しましょう。先日、友人に誘われて美術館に行ったんですが、全く何も分からずにただ絵を見ていると、偶然にも作家本人と出会ってしまいました。驚いてしまって言葉が出てこない私を見て、作家は微笑んで「どんな感想を持ったのか教えてくれると嬉しいです」とおっしゃったんです。私は本当に何も知らなかったけれど、ただただ感動したことを伝えると、作家はとても喜んでくれました。素人ならではの純粋さが、作家との繋がりを生んでくれた瞬間でした。
今はもう科学の世界からは離れてしまったけれど、破壊行為と素人鑑賞という新たな楽しみを見つけた私は、まさに自由気ままな40代を歩んでいます。
楽しみながら、絶望の淵をうろつく
先日、私はまたしても新しい実験を始めました。何か変わったことをしようと思い立ち、自宅で過ごす日々に刺激を求めていたのです。
例えば、普段は全く手にしない楽器にチャレンジしてみたり、料理教室に通ってみたり。つまり、失敗しながらも新たな経験をすることに意義を見出していたのです。
そんなある日、私はカフェで知り合った人々とランニングチームを結成することになりました。以前から運動不足を感じていた私にとっては、これは一石二鳥のチャンスでした。
しかしこのチームには、皆さん趣味もなく、無駄に時間を過ごすことが好きな人たちばかり。私自身も趣味がないため、このチームになじめると思ったのですが、大間違いでした。
最初のうちは楽しいランニングタイムを過ごしていたのですが、だんだんと皆さんが「友達に会いたい」とか「夜遊びしたい」と言い出し、ランニングよりも他のことが優先されるようになりました。
私は独身で彼女もおらず、やりたいこともなく、このランニングチームが唯一の楽しみだったのですが、それすらも奪われてしまったのです。
しかし、私は絶望しませんでした。そこで新たな実験を始めることにしました。
今度は趣味を見つけることを目指し、様々なクラブに入会しました。しかし、私が入ったクラブはどれもまったく合わないものばかりでした。
例えば、食べることが好きな私が入ったのはダイエットクラブ。みなさん献身的に運動や食事制限に取り組んでいる姿に感動しましたが、私には全く理解できないものでした。
そして次は美術クラブに入りましたが、私の絵はまるで幼稚園児レベル。周りの皆さんは才能溢れる作品を生み出している中、私は絵心ゼロのままでした。
こうして失敗を重ねる日々が続いています。でも、そんな私の姿を見て周りの人々は笑っています。私がどんなに頑張っても認められることはなく、侮られるのがお気に入りな様子。
でも、「笑って下さい。私を侮り続けて下さい。そんな世界でも、私は絶望の淵でなければ生きていけないのです」と声に出しながら、私は新たな実験を続けるのです。
絶望の淵をうろつきながら、私の実験はまだまだ続くのです。
失敗の上塗り、その名も経験
昨日、私はまたしても大失敗を犯しました。ある人から「釣りは一度でもやったことある?」なんて聞かれたので、「もちろん!俺は釣りの達人だ」と自信満々に答えたのです。しかし、実際に釣りに行ってみると、まったくの初心者でした。竿を投げるタイミングも掴めず、エサを選ぶセンスも皆無で、結局何も釣ることができませんでした。周りの人々には大笑いされながら、私は情けない姿を晒すこととなりました。
この記事のまとめ
この記事では、愛する失敗を通じて学ぶ機会を得ました。常識はまったく持ち合わせておらず、初めて聞く言葉ばかりでしたが、それが実験の日々を豊かにしてくれました。当たって砕ける実験の数々に挑戦し、言語も上手くいかずに苦悩しました。しかし、試行錯誤の連続の中である一日は訪れ、破壊行為と素人鑑賞に没頭しました。楽しみながら絶望の淵をうろつき、失敗の上塗りに取り組みました。それは「経験」と名付けられたものでした。
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